きまぐれ上達コラム〜詰碁?ムダでしょ!〜
「高段の壁はいつ出来るんですか?」「まだでしょ!」
と言うわけで気まぐれ上達法のお時間です。実はこちらの方が反響がありましてもうこっちの合間に高段の壁を書けばええじゃないかとも思うこの頃です。
今日のテーマはみんな大嫌い、詰碁です。以前初段の壁シリーズで書いてはいますがなかなか大事なテーマですからもう一度詳しく考えてみましょう。
結論から言いますと、プロやアマ高段者が上達法として真っ先に詰碁をあげるのか現状ですが私はそれを非常によろしくないと思います。恥を知れ、と声を大にして言いたい。
詰碁の効用としてあげられるのはこの2つ、1つは読みの訓練になるということ、2つ目は実戦で同じ形や同じ筋が出てきたときに瞬時に反応できる(知識として対応できる)ということだそうです。おっしゃるとおりだと海原も思います。
しかしまず1つ目についてですが、読みを鍛えたいなら何も詰碁である必要はありません。実戦で真剣に読むのでもいいし、頭の中で棋譜並べをしてみるのでも構いません。これでも頭の中の碁盤はクリアになっていき読みは鍛えられます。なぜ詰碁でなくてはならないのか。また2つ目についてですが、そう言う割には市販の詰碁本には実戦によく出る死活が網羅的には掲載されていないし、掲載されていても解答が簡素で変化を十分には勉強できません。大体、実戦に出てくる形を知識として習得するならばそもそも詰碁として「解く」必要自体無いではありませんか。
先ほどはプロを批判しましたが、このあたりのことに気づいている棋士もいます。依田九段は『依田ノート』やブログの中で、基本死活をまず覚えることが大切で、詰碁を「解きたい」ならそのあとにやればいい、と述べています。これなどはそのものズバリです。また張ウ九段は、詰碁は分からなかったらすぐに答を見て筋を学べばいい、という発言をしていますが、これもやはり詰碁で読みを鍛えるよりもまずは基本的な筋を「覚える」ことが先決だ、という意識があるからでしょう。趙25世本因坊は、簡単な詰碁を繰り返し解いて一瞬で解答できるまでやりなさい、とよく言っていますがこれも同じでしょう。
難しい詰碁をうんうん唸って何時間もかけて解いてもあまり効率がよくなく、まずはよく出てくる形や筋を「覚える」ことが大切だ。一流プロがそう考えているわけです。
基礎的な形や筋を知らないと、「読みのとっかかり」さえもなく結局は「考えてる」じゃなくて「迷ってる」だけになってしまう。海原はこのように考えます。ですから詰碁を解く前に、少なくとも難しい詰碁を解く前に、最低限『依田ノート』の基本死活の章くらいはひととおりマスターするべきです。
「読む」「考える」は大切ですが、「迷ってる」のは意味がない。まずは考えるためのとっかかりを身に付けるところから始めましょう。