気まぐれ上達コラム〜ふしぎなふしぎな棋譜並べ〜

 上達法として挙げられることでは詰碁と双璧をなす勉強方法が棋譜並べですが、この棋譜並べの効用は詰碁以上によく分からない、というのが海原の実感です。



 単純に考えれば、棋譜並べはプロが心血を注いで打った碁を追体験するわけですからそれは高いレベルの勉強になるはずです。また布石からヨセまでの囲碁の全範囲が一局の碁には詰め込まれていますから、網羅的に学べるはずです。はずですが、はずなんですが、しかし本当のところどうなのかよく分かりません。



 まず高いレベルの勉強と言っても、プロとアマではレベルが違いすぎて「理解」できているか怪しい。実際のところ私も棋譜並べを級の頃にやってみましたが「よくわからんなあ」という印象だけが残りました。もう1つの棋譜並べの効用?である「網羅的な勉強ができる」にもつながりますが、こんなに分からないならば定石なりヨセなり個別に勉強すればいいのではないか?と思いましたしね。
 もちろん少しはいいこともありました。本で読んだ定石や手筋が出てくると、「これはこんな風に使うのか!」と理解が深まりましたし、ところどころには私のレベルでも理解できる打ち回しが出てきてそれは吸収することができました。ただ、棋譜並べというなかなか大変な作業の見返りとしてはちょっと寂しい気もしました。ですから私は少しずつ棋譜並べから離れていき、タイトル戦を軽くネットで見る程度になっていきました。



 1つの例外を除いて。



 タイトル戦の棋譜を並べるのはもうやめていましたが、しかし1つだけやっていた棋譜並べがありました。何度かブログでも書いていますが、江戸時代の名手・本因坊秀和の打ち碁を並べることだけは続けていました。500近く手に入れた彼の棋譜のうち、主要な200局あまりをせっせと並べていました。気になった棋譜は複数回並べました。
 なんでそんなことをしたのか、いや、「できた」のかは分かりません。当時の私の棋風はメイエンワールド並の模様重視でしたから、いわゆる実利派の秀和は本来は逆の棋風でした。自分と反対の棋風の碁を求めていた、ともっともらしい理屈をつけてもいいのですが、他の「実利派」棋士にそこまで惹かれることは後にも先にも無く、やはり「本因坊秀和だったから」としか言いようがありません。



 秀和の棋譜並べの傍らにも色々勉強して級から一気に四段近くまで上がりましたが、やっぱり秀和の棋譜並べが何か直接役に立ったとは思えなかったし、今から考えても役に立ったとはやっぱり思えません。

 かといって無駄だったとは言えない。なぜなら私の根本的な棋風と言いますか囲碁についての思想に、間違いなく秀和は影響を与え続けていますからね。ともすると乱暴になる海原の打ち回しを、私の中の秀和が「中和」してくれる。高段になった今はそんな風に感じます。うまく表現はできないですが。
 そうするとあの当時も同じだったのかもしれない、とは思います。気づかなかっただけで、秀和は私の碁を高めてくれていたのかもしれない。確証はありません。しかし否定もできません。そして「今の私」は、秀和の棋譜並べは無くてはならないものだったと断言できます。



 本当に棋譜並べというものは分からないものです。いずれまた考察をしてみたいものですが、ひとまず言えることは、「なぜか並べてしまう棋士の碁」に出会えたならそれは本当に幸せだということ。これはきっと間違いない事実です。



 もうひとつ。私はたくさん秀和を並べるうちに、なんかこんな気持ちになっていました。



 「俺は本因坊秀和の弟子だ!」



 なんて気持ちに。これ、意外と海原の自信になっているのかもしれません。まあそれも本当かはまったく不明。ほんと不思議です、棋譜並べって。