文化の条件〜その壱.本因坊秀甫の嗅覚〜

 僕はここ数年、囲碁の発展・維持についてずっと考えてきました。それが高じて囲碁の歴史をかたっぱしから調べているのが最近の僕の生活なのですが、そんな折、非常に考えさせられる出来事が他の分野で起こりました。それは文楽について、橋下市長がある発言をしたことでした。


 橋下大阪市長は、文楽(正確には文楽協会?)への補助金を見直すとの発言しました。これに対して特にネット上では賛否両論入り乱れています(橋下氏のツイートとそれへの反応はこちら→http://togetter.com/li/263907)。僕自身は文楽に特に知識も思い入れもあるわけではなく、親友とそのうち見に行こうと言って既に2年ほど経過しているというのが唯一の接点?なのですが、しかし、同じく伝統文化である囲碁の先行きを憂う者として、ネット上の論争を見て思うことはありました。それは、おそらく文楽は生き残れない・大幅に縮小するであろうということ、そしてそれで一向に構わないということです。


 このようなことを書くと「文化を解せぬ野蛮人」のレッテルを貼られそうですが、しかし文楽よりはるか昔からこの国で根付いてきた囲碁という文化を愛する者として言わせていただくなら、いかに伝統文化といえども経済状況や大衆の人気と無関係に存続できるなどということは全くの幻想でしかなく、もちろん伝統文化が諸々の理由で消えていくことを嘆くのは構いませんが、それは結局「潔く消える」か「嘆きながら消える」か以上の違いは生み出しません。理由は実に単純、不況や国民の文化的素養の低さを嘆くことは、現実の前ではなんの実行力も持たない、業界関係者及びコアなファンの自己慰撫にしかならないからです。実行力を上げるためには、現状を正確に把握したうえで、いかにして業界にお金を落とすかを考え行動するしかありません。


 このようなことを書くと、今度は「文化を金でしか図れない実業家」のレッテルでも貼られそうですが、実は僕が言ったことを実行した人が囲碁界にいました。後に18世本因坊となる、秀甫です。彼は江戸末期から明治初期にかけて活躍した囲碁棋士ですが、明治維新に直面しての彼の行動は素晴らしいものでした。江戸時代は本因坊家をはじめとする「家元」は、幕府から俸禄をもらい、また年に一度の「御城碁」といった活動の場が与えられていました。しかし維新政府はそれらの恩典を打ち切り、本因坊家、いや囲碁界はスポンサーを失ったのです。そんな中で秀甫は囲碁界が新たなスポンサーを手に入れることが急務と考え、それまでの家元の権威を排した近代的な制度の「方円社」を設立、何人もの政治家や政商を味方につけました。この方円社、現在の日本棋院の前身と言える組織であり、まさしく秀甫は近代囲碁組織の立役者であったと言えます。
 彼の素晴らしさは、いち早く近代化の必要性を悟った嗅覚だけではありません。その技量も極めて高く、『ヒカルの碁』で有名な「本因坊秀策」と同等程度の実力を有すると、14世本因坊である秀和も述べています。
 卓越した技量を持ちつつも、囲碁の社会における位置や生き残りの方法にも目配せできる才覚、それゆえに彼は中江兆民によって「近代非凡人31人」の一人に数えられたのでした。


 本気で文化を生き残らせたいのであれば、秀甫のような態度が重要になってきますが、さて橋下氏やその政権を支える大衆を批判する人たちに、そのような才覚がおありなのか、問うてみるまでもないでしょう。
 もちろん、文化を生き残らせるというのは必ずしも大衆やときの権力者にすりよることでしか実現できないというわけではありません。実はそれについても、17・19世本因坊秀栄という棋士が見事に体現しています。その方法の紹介については次回のエントリーに譲ることにしますが、一つだけ先に申し上げるのであれば、この方法を文楽界が採ることは秀甫の方法を採ることをはるかに超えた困難である、ということは断言しておきます。